柿の木のクリスマスツリー

私達の人生をより素晴らしい物にする為の様々な智慧が記されている、ヨーガの根本経典「バガバッド・ギーター」。この経典の中に、この様な言葉が記されています。
「土塊、石、黄金を平等に見よ」
私達の多くは黄金が目の前に差し出されれば、喜んで受け取る事ができると思います。
ですが、どう見ても価値の無い様に思える土塊が目の前に差し出された時どうするでしょうか?多くの方が「そんな物はいらない!」と受け取るのを拒絶してしまうのではないでしょうか。しかしヨガの経典は全ての価値の有無等、一切の区別性を無くし全てを平等に捉えなさいと説いています。それはなぜでしょうか・・・。私達は外見だけで物事を判断してしまいがちなのかもしれません。価値の有る様に思える黄金は金メッキに覆われているだけなのかもしれません。そして、今まで受け取るのを拒絶していた一見価値の無い様に思える土塊の中に、探していたダイヤの原石が隠されているのかもしれません。

例えば、サーフィンの専門雑誌に載るような一見華やかな海はとても多くのサーファーで混雑していて、なかなか良い波に出会えません。思わず進むのを躊躇してしまいそうな長い獣道を進んでいった先に、捜し求めていた最高の波に出会えるシークレットポイントが隠されていたりします。

私が小学生の頃、12月になると友人たちの家には大きなクリスマスツリーが飾られていました。私の家にはクリスマスツリーが無く、友人たちの家に遊びに行く度に、いつも羨ましい気持ちになっていました。私は我慢が出来ずに父親にツリーのおねだりをしました。「みんなの家には綺麗なツリーがあるのに、なんでうちには無いの!?」「ツリーを買って欲しい!!」と子供ながらに必死に訴えました。後日、父親が明らかに何処からか拾って来たであろうツリー用の電飾を持って帰ってきました。ですが我が家にはモミの木がありません・・・その電飾を父がどうするのか見ていたら、庭に生えている柿の木に巻き始めました。私も手伝い電飾を巻き終えた後、スイッチを入れると付いている電球の半分程しか電気が付きませんでした。私が期待していたクリスマスツリーとは程遠い柿の木ツリーの姿に納得がいかない私は、とても悲しくなり、しばらく部屋に閉じこもってしまいました。

クリスマスイヴ当日、こんな変なツリーで祝うクリスマスは絶対に嫌だと、まだ機嫌は直りませんでした。それでも家族で祝うクリスマスパーティーの準備は進み、テーブルには母親が作ってくれた大好物のご馳走が並びとても美味しそうでした。私の機嫌を取ろうと仕事から帰って来た父の手には、私の大好きなチョコレートケーキがありました。家族全員がそろいクリスマス会が始まり、テーブルに並んだご馳走を皆で頂き、美味しいケーキを食べてクリスマスの歌を歌い、家族みんな楽しい時間を過ごしました。普段はとても厳しい表情をしている父ですが、喜ぶ私の姿を見てとても優しい笑顔に包まれていました。窓の外には、嫌いだった柿の木のクリスマスツリーがとても綺麗に輝いていました。「きっと父は私を喜ばせたい一心で、このツリーを用意してくれたんだろうな」と父の温かな気持ちに気付けた時、それまでは価値の無い土塊の様に思えていた柿の木のクリスマスツリーが黄金の様な最高のツリーへと変化したのです。

あれから時はだいぶ経ちますが、ちょっと変わっている父の拾い癖はまだ継続しています・・・。(笑)先日、初孫に野球のボールを拾ってきました。以前の私だったら、そんな汚いボールを渡すのはやめてくれと拒絶していた事でしょう。ですが、きっとボールには孫に喜んで貰いたいという父の温かな気持ちが込められていると思えたら少し汚れてはいますが、とても大切なプレゼントに思えて来ました。

私達の多くが、人生の中に自分の望む現実ばかりを追い求めてしまうのではないでしょうか?ですが黄金は元々土塊の中に存在している事を思い出していきましょう。私達が探し求めていた人生の宝物は、一見価値の無い様に思える土塊の中にこそ隠されているはずです。自分が望まない様な現実が目の前に差し出された時、その先には私達の想像もつかない黄金に輝く世界が広がっているはずです。価値の有無と言う一切の区別性を無くし、平等に物事を捉える目を養って行きましょう。そして私達が人生の宝物を、より多く見つける事が出来ます様に。

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