『コンビニ店員がくれたもの』

2000年前に成立されたとされるヨーガの根本経典『バガバット・ギーター』には私達の人生をより素晴らしい物に変えてくれる古代賢者達の様々な智慧が記されています。

この経典の中に登場する神の化身クリシュナは迷える戦士アルジュナに様々な助言を与え続けますが、その中に『私の事をバクティしなさい』という言葉があります。
バクティは日本語に直訳すると信愛という意味になり、そのまま受け取るとクリシュナとアルジュナの禁断の愛の話になってしまいますがそうではありません(笑)。
私たち人間の象徴として描かれているアルジュナが、目の前に広がる世界の象徴として描かれているクリシュナをどんな時でも信じて愛しなさいと説いているのです。

私達の多くが望む現実が起これば「神様ありがとう!」とこの世界を信じる事が出来るのですが自分が望まない現実が起こればどうでしょうか?掌を返した様に「神も仏も在った物か」と急にこの世界を信じる事が出来なくなってしまうのではないでしょうか。
ですが、これまで拒絶していた困難な現実の先にこそ私達が求めている本当の幸せという人生の宝物を神の化身クリシュナが用意していると古代ヨーガの賢者たちは言っているのです。

私は学生の頃から続けているサーフィンが大好きで休みの日を利用してよく海へ出かけます。先日の水曜日も仲間と海へ行く約束を交わし夜のうちに準備を整え朝から波乗りへ行くつもりでした...が家族の急な予定変更で急遽、海へ行くことが出来なくなってしまいました。残念でしたがそれでも今日サーフィンに行けなくても海はどこにも逃げないので来週行けばいいと自分に言い聞かせ納得しました。しかし次の週も急に予定が入ってしまい行く事が出来なくなってしまいました(涙)。
追い打ちをかけるようにSNSを開けば友達はいい波に乗りサーフィン三昧ではありませんか!楽しみにしていただけあって心のダメージも大きく、遠足に行けない子供の様にとても落ち込んでしまいました。しかし悪い事は続くものでモヤモヤした気持ちで車を運転をしていたらスピードを出しすぎてしまい取り締まられてしまいました。「なんで自分ばかり最悪な事が続くんだ!」私は心の中で「神も仏も在るものか!」と呟いてしまいました。

次の日の夜になっても心が晴れない私はため息の連続で肩を落としていました。
ため息のし過ぎでのどが渇いたので水を買いにコンビニへ入りました。
ミネラルウォーターを手に取りレジ向かうと片言の日本語で「いらっしゃいませ」と外国人の店員さんに声をかけられました。片言の日本語を話すその彼は店長らしき人物にレジ操作を教わりながら慣れない日本語で一生懸命に仕事をしていました。
ふとその外国人のネームプレートに目をやると、なんと研修中のクリシュナと書いてあるではありませんか!しかもこんな夜遅くに文句も言わずせっせと働くクリシュナさんをみて私はとても衝撃を受け我に返ることが出来ました。

深夜のバイトにもかかわらずクリシュナさんは笑顔で頑張っているのに、いったい私は何をしているのか。たった数回望まない出来事が起こっただけで、この世界すべてを拒絶してしまうなんて...と自分の愚かさに気付くと同時に、例えサーフィンに行けなくても、スピード違反で捕まっても、望まない現実に直面しても大丈夫!この世界を信じて頑張り続けていればクリシュナは私達に最高の幸せをプレゼントしてくれるはずと『バガバット・ギーター』の中でクリシュナが言っているバクティを思い出すことができました。

忘れかけていたバクティの大切さを思い出させてくれたのはコンビニで出会った研修中のクリシュナさんのおかげでした。
いつもと同じ帰り道「今夜の風は、なんだかとても心地良く街灯の明かりが宝石の様に輝いて見える。なんて人生は素晴らしいのだろう!」困難な現実に惑わされていた私はようやく目を覚まし、目の前に広がるこの世界を信じる事ができる様になりました。

目の前に広がるこの世界は私達に様々な現実というプレゼントを与えてくれています。ところが私たちの多くが望まない現実というプレゼントは受け取り拒否してしまいがちです。ですが思い出してみましょう、私達がプレゼントを渡す時には必ず中身が見えないように厳重に包装紙に包む事を。きっとこの世界も困難な現実という包装紙にプレゼントを包み差し出し私達がバクティ出来るかどうかを試しているのかもしれません。
これからは誕生日プレゼントを嬉しそうに受け取る子供達の様に、この世界から差し出される様々な現実というプレゼントを拒否する事無く受け取り、その中に隠されている幸せという人生の宝物を見つけ出せますように。

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「バガバッドギーター」に登場するクリシュナ

一度きりの波を大切に

古くインドで使われていたパーリ語、その中に「アニッチャ」という言葉があります。

「アニッチャ」とは「無常」と訳すことが出来ます。私達の目の前に広がるこの世界全ては常に流動変化をし続けて、一瞬たりとも同じ状態を保ち続けることが出来ない、つまりは常が無いという事を意味します。

サーフィンで海にいる時、このアニッチャを非常に感じる事が出来ます。波というのは常に流動変化をしていて、その季節や天候、時間によって波の大きさも違えば、厚さや、スピード、波の崩れ方まで全てが変化していきます。さっきまで荒れ狂っていた海が数時間後には風が止み、まるで湖の様な静けさに変化していたりします。それが良い波であれ悪い波であれ、あの時、あの海で出会ったあの波にはもう二度と出会うことは出来ないのです。そしてサーファーたちは目の前の波にやり残しが無い様、そして悔いが残らない様、目の前の波に全力でトライし、その瞬間を楽しみ続けるのです。
私達の多くは、このアニッチャという普遍的な真理を知ってはいるけれど忘れてしまいがちだったりするのではないでしょうか。辛く悲しい時、その悲しみが永遠に続くかの様に肩を落としたり...。今、目の前に差し出されている幸せをいつまでも続くと考え、有難みを感じずに当たり前の様に過ごしたり。

私には産まれて3ヶ月になる息子がいます。男でも子育てに積極的に取り組もうと、オムツ交換やお風呂、洗濯や寝かしつけの抱っこなど日々挑戦しています。ですが、何をやっても泣き止まない時があり、もしも私に母乳が出たら...なんて思った事もあります(笑)。

夜赤ちゃんがぐずり始め、オムツをみると、おしっこをしているのでオムツを換えます。すると今度はすごい勢いで大をします。慌ててオムツを換えるとまたおしっこ・・・そんな事が毎晩の様に繰り返されると、次第にオムツを換えるた度に「も~またオムツか~!何でこの子はおしっことウンチを寝る前にしてくれないんだ!!」と不満が溜まってきます。これがこの先ずっと続いたらどうしようとか、「これじゃあ夜も寝れないし寝不足になってしまう」と不安に感じたり...。

そんな楽しくも忙しい日々もあっという間に3ヶ月が過ぎました。無事にすくすくと成長し1日1日、表情が豊かになってきました。その成長スピードはとても速く、毎日新たな成長を発見出来るほどです。ある休日、朝起きて息子を抱っこし、「おはよう」と話しかけるといつも特別な反応はなかったのですが、私の顔を見て初めて微笑んでくれました。昨日までは見られなかった成長を目の当たりにし、大変驚きました。同時に、息子の毎日何かしらの変化と成長が嬉しいのだけれど、少し寂しいような気持ちになり、現実は常に流動し変化してるんだなと、アニッチャ、常が無い事を再認識する事が出来ました。

そしてこの先、私はこの子のオムツをいったい何度換えてあげることが出来るのか?あと何度抱っこしてあげる事が出来るのか?常は無いですからすぐにこの子は成長していき、それも必要が無くなっていく時期がやってくるでしょう。そう思った瞬間から苦手だったオムツ換えも大切な時間に変わっていき、腕が痛くなるほど辛かった寝かしつけの抱っこもその一回一回を大切に楽しめるようになりました。


私達の一生というのは永遠のように長く感じますが、宇宙の長い歴史の中では瞬き程の一瞬でしかありません。その一瞬の中でも万物は常に流動変化していきます。私達の目の前に差し出される現実が、自分の望んでいる事、望んでいない事だとしてもそれは神様から与えられた最高の時間です。そしてこれから先、決して同じ時間は訪れません。

もう二度と出会えないであろう波を、全身で楽しむサーファーの様に、アニッチャをいつでも心の片隅に、目の前に差し出される様々な人生の波を思う存分、楽しんで乗りこなしていきましょう!

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寒い冬の幻

2,000年前に成立されたとされるヨーガの根本経典「バガバッド・ギーター」。
この経典の中には私達の人生をより素晴らしいものにしてくれる古代賢者の様々な智恵が記されています。その中で登場人物である神の化身クリシュナが迷える戦士アルジュナに対し「なぜあなたは嘆くべきでないことに対して嘆くのか?」と問いかけます。迷える戦士アルジュナは私達人間の心の在り方の象徴として描かれています。

ストレス社会を生きる私達の多くは悩む必要の無い事に悩んでしまっているのではないでしょうか?まだ起こってもいない事を勝手に心配してしまったり、急に先行き不安になってしまったり、まるで湧き出る水の如くネガティブな感情が私達の心を不安にさせます。しかし生きていく中で、ネガティブな感情は必ず必要になってきます。例えば交差点を渡る時、全てをポジティブに考えたとします。車は来ないだろうと確認もしないで交差点を渡ってしまえば交通量の多い都会では、すぐに事故に遭ってしまいますし、それでは命がいくつあっても足りませんよね。その様に考えた時、我が身を守る術として私達は本能で物事をネガティブに捉えてしまう習性があるのかもしれません。ですが、そればかりになってしまうと心配事ばかりが増え、日々の生活を心から楽しむことが難しくなってしまうのではないでしょうか。

私は2歳になるパグ犬を飼っています。名前は「バブオ」と言います。パグは非常に寒さに弱く、そして暑さにも弱いとてもデリケートな犬種です。夏場や冬場は常にエアコンを付けて室温を一定にしておかないと、すぐに体調を崩してしまいます。私達家族はバブオの事をとても可愛がっているのですが一つだけ悩みがあります。それはとても獣臭い事です(笑)。自宅にはヨガスタジオもあり獣臭いままでは生徒さんも心地良くヨーガを出来なくなってしまいますので、定期的にトリミングに行き匂いを取ってもらっています。そして、その日は朝からトリミングの予約が入っていたので寒さで震えるバブオを車に乗せ出発をしました。霜が降りる程寒い朝だったので、私は暖かい飲み物が飲みたくなり途中コンビニに寄りました。車のエンジンはまだ温まっておらず、すぐに戻るから大丈夫だろうとバブオを車内に残し車のエンジンをかけたままコンビニへ向かいました。すると後ろで「ガシャッ!」という音がしたので振り返るとバブオが私を追いかけようと運転席側のカギに手をかけ、なんと車の中から鍵を閉めてしまいました。

「バブオ!カギを開けて~!」と何度言ったところで開けてくれるはずもありません。寒さでブルブルと震えながら、助けを求めるバブオを救出するにはどうすればいいのか?スペアキーを持っていればすぐに救出できるのですが、その時に限ってスペアキーは実家に置いて来てしまいました。実家に電話を掛けカギを持って来てもらえる事になりましたが、実家からここまではどんなに急いでも40分はかかってしまいます。私も薄着で車外に出てしまった為、寒さに耐えられずコンビニへ避難しましたが何だか落ち着きません。私の不注意で車内に取り残され、寒さに苦しむバブオの顔がどうしても頭に浮かび、自分のミスを責めてしまいました。「ひょっとしたら病気になってしまうのではないか・・・」と心配にもなってきてしまいました。40分後ようやく父が到着しカギを受取り急いで車に駆け寄ると、バブオはシートにうずくまったままピクリとも動きません。「ひょっとして余りの寒さで死んでしまったのでは‼」「自分はなんて馬鹿なことをしてしまったのだ!!」と急いでカギを開けました。すると、どうでしょう・・・!?ヒーターのスイッチがちゃんと入っていたようで、車内はとても温かくバブオは心配をよそに、いびきをたてながら気持ち良さそうに寝ているだけでした。(笑)

結局私は起きてもいない事をネガティブに想像して嘆いていただけでした。それからは、これを教訓にいつでも客観的に物事を捉えるようになりました。表面上だけで物事を捉え悲観的に考えるのも止めました。すると以前はプライベートや仕事で先行きが不安になる事もあったのですが、不安という霧も晴れ、日々の生活を心から楽しむ事が出来る様になりました。それもこれも愛犬バブオのおかげかも知れません。この様にして私達の多くは自らが生み出したネガティブな現実と言う幻に惑わされているだけなのかもしれません。

米国ミシガン大学の研究チームが行った調査によると、心配事の80パーセントは起こらないそうです。起きるのは残り20パーセントですが、その内の8割は予め準備をしておけば心配事に至らずに解決できるそうです。つまり本当の心配事はたったの4パーセントだけ。私達は、このたった4パーセントの発生確率にも関わらず、不安や心配という行為に多くの時間を割いてしまっているのではないでしょうか?私達の心が作り出してしまう不安という幻に惑わされる事なく、人生を心から楽しんでいきましょう!

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青春のジェットコースター

2000年前に成立されたとされるヨーガの根本経典ヨーガスートラ、この経典の中には私達をより成長させてくれる為の教えが説かれています。

その中に「苦行(タパス)」と言う教えがあります。ヨーガスートラではこの苦行を積極的に経験していく事を奨励しています。


私達は日々の生活の中で、無意識に苦しみよりも楽な方を選択する事が多いのかもしれません。

ではなぜヨーガスートラではタパスを推奨しているのか...。ヨーガスートラには「タパスによって超自然力が得られる」と記されています。そして超自然力とは凄い力と言い換える事が出来るでしょう。


私達が苦しみを感じる時とは、どの様な時なのでしょうか?

それは自分の許容範囲を超えた出来事が目の前に差し出された時、私達は心が波立ち苦しみを感じるでしょう。

最初は苦しい思いをするかもしれませんが、数度と許容範囲を超えた出来事を経験する事で、苦しみの対象は自分の許容範囲の中の出来事へと変わっていきます。そして以前苦しんだ現実が目の前に差し出されても心は波立たなくなるのです。


例えば子供は経験も浅く、自分の許容範囲も狭いため小さな事で動揺してしまいます。しかし年を重ね、学校や社会で苦しみを何度も経験していきます。言わば人生に置いてのタパスを行っていくのです。そして様々な経験を積み重ね、自分の許容範囲を広げていく事によって、小さな事では心が波立たない大人へと成長していくのです。


私は子供の頃からジェットコースターが苦手でした。苦手というより、あのスピードを見ていると乗っている人の気持ちが理解出来ない、などと思って1度も乗った事がありませんでした。高校3年の夏、学校の遠足で静岡県にある遊園地へと行きました。到着してみると立派な遊園地でアトラクションも沢山あり、みんなのテンションは大盛り上がり!でも何故か?他のお客さんは見当たらなく園内はガラガラでまるで貸しきり状態でした。

私達は4人グループになり、目当てのアトラクションに向かいました。私の希望はコーヒーカップ、もしくはゴーカート...頑張って空中ブランコでしたが、やはり高校生の好みは絶叫マシーン、いきなりジェットコースターへ向かう事になりました...。

出来る事なら乗りたくないのですが、「私は怖いから乗るのを止める」とはかっこ悪くて言えません!!


私も男だと腹をくくり、今まで避けてきたジェットコースターに乗り込みました。園内はガラガラですので待ち時間も無く、一番怖い先頭車両に乗せられました。

安全ベルトが下がり、もう身動きが取れません。「ガタッ!ガタッ!」とコースターはゆっくりと動き始め、遥か上空へと私達を連れて行きました。いつ落下するのかと、恐怖と不安とが入り混じり、手にびっしょりと汗をかいていました。そこから先の世界は私の許容範囲を遥かに超えた出来事でした。

高さも恐怖もピークに達し、コースターはいきなり急降下!その後には1回転!ものすごいスピードで右カーブ!そしてまた1回転!!。気を失いそうな重力を感じながら私にとっての初めてのジェットコースターはようやくゴールを迎えました。

「あぁーこれで大好きなゴーカートに行ける」と思ったその時、私のグループの男性が「もう1周行っちゃおうゼ~!」と叫びました!?。園内はガラガラ、アトラクションの担当員の方もノリのいい方で「もう1周行ってらっしゃ~い」と我が耳を疑う一言(泣)。

そして私にとってのタパスの旅がまた始まりました。そして気付けば、私達は6周もしていました。


するとどうでしょう!?始めはあれほど怖がっていたのに、何周もしていると少しづつ楽しくなって来たではありませんか。苦しみでしかなかったジェットコースターを何度も経験する事で、許容範囲の外側にあった現実が、許容範囲の中の出来事へと変化しジェットコースターを楽しめるようになりました。途中余裕が出てきて、両手を離して楽しんでいる自分がそこにはいました(笑)。今では、絶叫マシーンが大のお気に入りになりました。


私達は日々の生活の中で苦しみを避け、楽しい事だけを経験したいと思うものです。ですが苦しみの中にこそ自分を成長させ、新しい世界へと続く扉が隠されているのかもしれません。

私達が今手にしている幸せ、それは楽な事ばかりを経験して築きあげたものでしょうか?そこには必ず苦しみも経験しているはずです。苦しみの先には素晴らしい世界が広がっているのを私達は知っています。


そしてその素晴らしい世界は無限大に広がっていて、これから先の未来、私達を待ち続けています。いつまでも自分の許容範囲の中で生きるのではなく、勇気を出して新しい世界の扉を開いていきましょう。扉の鍵は、すでに手中にある事をいつでも思い出していけますように...。

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「高校3年生の時撮った家族写真」

ありのままを信じて

2000年前に成立されたとされる、ヨーガの根本経典バガヴァッド・ギーター。
このバガヴァッド・ギーターでは、神の化身クリシュナを「ありのままの世界」、そして迷える戦士アルジュナを「人間」の象徴として描いています。

この経典の中で、神の化身であるクリシュナが、迷える戦士アルジュナに対して「私の事を信愛しなさい」と何度も繰り返し説いていきます。
「信愛」(バクティ)とは、信じて愛していく事。目の前にどんな出来事が差し出されても、それが望んでいない出来事だろうとも、信じて愛して行きましょうという教えです。

ヨーガの根本的な思想に、目の前に広がる世界の背後には、神聖なエネルギーが満ちていると考えます。
どんな出来事にも、神聖さが満ちていると信じる事で、例え目の前に拒絶してしまいたくなる様な自分の望まないプレゼントが差し出されたとしても神からの贈り物だと思えば受け取る事が出来るのではないでしょうか。


先日、いつもどおり仕事に行く準備をしていると、近付いている低気圧のせいか頭痛を感じました。日課の早朝アーサナプラクティスをすれば頭痛も収まるだろうと思っていましたが、プラクティスが終わった後も頭痛は収まりませんでした。
私の異変に気付いた妻が心配そうに「大丈夫?良いのがあるから、ちょっと待ってて!」と引き出しから、なにやら怪しい液体の入った小さな茶色い瓶を持ってきました。
妻はその怪しい液体を手に塗り私のこめかみに塗ろうとするので条件反射で避けてしまいました。「それは何か」と尋ねると、どうやらそれはオーガニック100%のエッセンシャルオイル(アロマ)のようです。
使った事も無いですし、効き目も信じていない私は塗るのを拒絶し、逃げるように仕事に出かけ、その日1日は頭痛に苦しみました。

私の職場はエアコンが強く、空気が乾燥していて、時々鼻炎のような症状が出ていました。
ある日、鼻を詰まらせ息苦しそうにしている私の姿を見た妻が心配そうに、怪しい瓶...じゃなくアロマオイルを持って近付いてきました。どうやらオイルを小鼻のくぼみに塗ると鼻が通るらしいのですが、得体の知れない液体を鼻に塗りたくない一身で、丁重に断り足早に仕事に出掛け、鼻がすっきりしないまま1日を過ごしました。

先日子供が風邪を引き、私はうつらないように気を付けていたのですが、貰ってしまったようです。朝起きたら鼻が完全に詰っていました。困っていたら妻が例の茶色の瓶を持って近付いてきました。
「またアロマか~」と思い、丁重に断ろうとしました。ですが、何度もアロマを差し出してくる妻の姿が、いつも青い服を着ているからか、それとも風邪で頭がボーっとするせいなのか、バガバットギータに登場する神の化身クリシュナに見えてきました!!(クリシュナの肌の色は青で描かれています。)
そして戦士アルジュナがしたように私もバクティと思い、それまで拒絶をしていたアロマを試してみました。
するとどうでしょう!?先程まであれほど辛かった喉の痛みや、鼻づまり、頭痛がアロマ効果で消えてなくなっていきました。不思議に思い妻に尋ねた所、アロマは薬草から作られた天然の油で薬効成分があるとの事。今まで香りを楽しむ為の女性だけのアイテムだと考えていましたが、子供の虫刺されやオムツかぶれ、うがい薬の代用など様々な所で役に立っています。


日々の生活の中で、様々な現実と言う名のプレゼントが差し出されます。
自分の望む現実が差し出されれば「ありがとう」と容易く、そのプレゼントを受け取る事が出来るでしょう。
ですが、私達の多くは望まない現実が差し出された時、急に目の前の世界を信じられなくなってしまい、与えられたプレゼントを拒否してしまうのではないでしょうか?。

今まで何度も妻から差し出されていたプレゼント。
もしも自分の望まない事だと言って拒否し続けていたら、箱の中に隠されていた素敵な中身に出会う事も無く後悔していた事でしょう。

もしも目の前に自分の望まない、一見拒否してしまいたくなる様なプレゼントが差し出された時。ありのままの世界を信じてプレゼントを受け取って見ては如何でしょうか?
箱の中には想像もつかなかった素晴らしい世界が、私達を待ち続けています。

楽園へと続く有料道路

2000年前に成立されたとされるヨーガの根本経典ヨーガスートラ。
その中にこんな教えが記されています。
「非暴力(アヒンサー)に徹した者の側では、すべての敵対が止む」
非暴力というのは暴力を慎む教えです。殴る蹴るの暴力はもちろんの事、暴言を吐いたり、そして心の中で暴力的に考える(=思いの暴力)も排除しましょうと説いています。

ヨーガでは万物には固有のバイブレーション(波動数)が存在すると考えます。
私達の心の中が穏やかな時、心が波立っている時など、その時の心のあり方によって異なった波動を出して周りへと影響を与えています。

例えば苛立っている人の側に居ると、こちらまで嫌な気持ちになってしまったという経験は無いでしょうか?
私達が怒りの感情に支配されてしまえば、目の前の全てに影響していき、やがては怒りに満ちたネガティブな世界が広がって来ます。
目の前に差し出されている現実が平和で穏やかな世界であれ、荒れ狂う波のような世界であれ、それは自らの心のあり方が目の前に映し出されていると言えるでしょう。
世界中の人達が争う事無く微笑む事が出来れば、この世界から暴力は無くなり平和で安らかな楽園が広がって来るのではないでしょうか?

先月、連休を取り家族で初めての一泊旅行に行ってきました。
9ヶ月になる息子と一緒なので、赤ちゃん設備も整った軽井沢のホテルに決めました。
大自然に囲まれた広大な敷地にあるホテルで、おしゃれな北欧風の作りで家族も大満足です。
その日は長旅の疲れもあり、先ずは温泉につかり疲れを取る事にしました。妻には内緒でしたが、この旅のもう一つの目的は産後から9ヶ月になってもずっと3時間おき授乳しながら、仕事もこなしている妻を労う目的もありました。
そのホテルの魅力は赤ちゃんと一緒に温泉に入れる事で、妻にはゆっくり温泉に浸かってもらおうと私が息子と一緒に温泉に入りました。
初めての場所、初めての温泉、そして回りは見知らぬ裸のオジサンだらけ・・・脱衣場で服を脱いだ時には、今まで聴いた事の無いような叫び泣きをされてしまい大慌て(汗)。
旅行前からすごく楽しみにしていた息子と入る記念すべき初温泉も、結局は数秒しか入れませんでした(泣)。

楽しい旅行1日目を終え、2日目は観光をしたかったのでホテル近くにある白糸の滝へ向かいました。
車でひたすら続く一本道を進んで行くと、ここからは有料道路の看板が出できました。
その道を通らなければ滝まで行けないので料金を支払い先へと進みました。
ですが、ほんの数百メートル走っただけで道路は終わってしまい、新たな料金所が出てきました。
「なんでまた料金所が?」なかなか状況が読み込めませんでしたが、料金を支払わなければ先へ進めません。しかたなく支払いを済ませ車を進ませると、またすぐに有料道路終了の看板が出できました。
私は心の中で「これだけ払ったのだから、もう料金所は出て来ないでしょ~」と思っていましたが、まさかのまさか!また料金所が出てきました。
引き返すにも料金が再度掛かるので滝へ行くには進むしかありません。
「1度に請求してくれればいいのに何でこんな事をして来るんだ!」と言う思いが出てきて、それまで静かだった心がだんだんと台風の日の波の様に波立ってきました。

車内での妻と話す会話もトーンが低くなり、私の放つバイブレーションが怒りに変わっていきました。すると、それまで寝ていた子供が「オギャー オギャー」と泣き始めました!
とても必死に泣く息子の泣き声がなんだか「お父さん、アヒンサ~アヒンサ~」と聞こえ胸に「グサッ!」っと刺さりました。
このままではいけないと思い気持ちを入れかえる為、窓を開けて深呼吸しました。
新鮮な空気を沢山吸い入れ、それまで波立っていた私の気持ちも収まりました。
するとハッと気付きました!!
外を見ると壮大な浅間山がそびえ立っているではありませんか。
きっと支払った通行料は、宝石の様なこの素晴らしい景色を守る為に使われているんだなと思うと、小さな事で心が波立っていた自分が恥ずかしく思えてきました。
私の心が怒りの感情で乱されていた為、私の前にはネガティブな世界が広がっていました。もしもあの時にぷんぷんと怒り続けていたら車内にいる家族の気持ちや、目の前に広がる素晴らしい景色さえも気付く事が出来ずに、きっと後悔していた事でしょう。
それからは、アヒンサーの大切さを再認識させてくれた浅間山、そして家族に感謝をしながら残りの旅行を笑顔で思う存分楽しむことが出来ました。

私達の多くは自分の望む現実が起こっている最中は自然と微笑んでいられます。
ですが、ひとたび気に入らない事が目の前で起こると急に心が波立ち、目の前の世界に対して攻撃的になってしまうのではないでしょうか。
たとえ自分の望まない現実が目の前に差し出されたとしても心を波立たせる事無く、ありのままの世界に対して優しく微笑む事が出来たのなら、私達はいつでも楽園の住人になれるはずです。
皆さんの目の前には、どの様な世界が広がっているでしょうか?
もしも目の前に拒絶してしまいたくなる様な現実が差し出された時、自分の心のあり方に目を向けてみましょう。
私達がこの世界に優しく微笑みかければ、きっとあなたにも微笑み返してくれるはずです。

世界中の人々が非暴力(アヒンサー)の教えによって平和な人生を送れます様に。

柿の木のクリスマスツリー

私達の人生をより素晴らしい物にする為の様々な智慧が記されている、ヨーガの根本経典「バガバッド・ギーター」。この経典の中に、この様な言葉が記されています。
「土塊、石、黄金を平等に見よ」
私達の多くは黄金が目の前に差し出されれば、喜んで受け取る事ができると思います。
ですが、どう見ても価値の無い様に思える土塊が目の前に差し出された時どうするでしょうか?多くの方が「そんな物はいらない!」と受け取るのを拒絶してしまうのではないでしょうか。しかしヨガの経典は全ての価値の有無等、一切の区別性を無くし全てを平等に捉えなさいと説いています。それはなぜでしょうか・・・。私達は外見だけで物事を判断してしまいがちなのかもしれません。価値の有る様に思える黄金は金メッキに覆われているだけなのかもしれません。そして、今まで受け取るのを拒絶していた一見価値の無い様に思える土塊の中に、探していたダイヤの原石が隠されているのかもしれません。

例えば、サーフィンの専門雑誌に載るような一見華やかな海はとても多くのサーファーで混雑していて、なかなか良い波に出会えません。思わず進むのを躊躇してしまいそうな長い獣道を進んでいった先に、捜し求めていた最高の波に出会えるシークレットポイントが隠されていたりします。

私が小学生の頃、12月になると友人たちの家には大きなクリスマスツリーが飾られていました。私の家にはクリスマスツリーが無く、友人たちの家に遊びに行く度に、いつも羨ましい気持ちになっていました。私は我慢が出来ずに父親にツリーのおねだりをしました。「みんなの家には綺麗なツリーがあるのに、なんでうちには無いの!?」「ツリーを買って欲しい!!」と子供ながらに必死に訴えました。後日、父親が明らかに何処からか拾って来たであろうツリー用の電飾を持って帰ってきました。ですが我が家にはモミの木がありません・・・その電飾を父がどうするのか見ていたら、庭に生えている柿の木に巻き始めました。私も手伝い電飾を巻き終えた後、スイッチを入れると付いている電球の半分程しか電気が付きませんでした。私が期待していたクリスマスツリーとは程遠い柿の木ツリーの姿に納得がいかない私は、とても悲しくなり、しばらく部屋に閉じこもってしまいました。

クリスマスイヴ当日、こんな変なツリーで祝うクリスマスは絶対に嫌だと、まだ機嫌は直りませんでした。それでも家族で祝うクリスマスパーティーの準備は進み、テーブルには母親が作ってくれた大好物のご馳走が並びとても美味しそうでした。私の機嫌を取ろうと仕事から帰って来た父の手には、私の大好きなチョコレートケーキがありました。家族全員がそろいクリスマス会が始まり、テーブルに並んだご馳走を皆で頂き、美味しいケーキを食べてクリスマスの歌を歌い、家族みんな楽しい時間を過ごしました。普段はとても厳しい表情をしている父ですが、喜ぶ私の姿を見てとても優しい笑顔に包まれていました。窓の外には、嫌いだった柿の木のクリスマスツリーがとても綺麗に輝いていました。「きっと父は私を喜ばせたい一心で、このツリーを用意してくれたんだろうな」と父の温かな気持ちに気付けた時、それまでは価値の無い土塊の様に思えていた柿の木のクリスマスツリーが黄金の様な最高のツリーへと変化したのです。

あれから時はだいぶ経ちますが、ちょっと変わっている父の拾い癖はまだ継続しています・・・。(笑)先日、初孫に野球のボールを拾ってきました。以前の私だったら、そんな汚いボールを渡すのはやめてくれと拒絶していた事でしょう。ですが、きっとボールには孫に喜んで貰いたいという父の温かな気持ちが込められていると思えたら少し汚れてはいますが、とても大切なプレゼントに思えて来ました。

私達の多くが、人生の中に自分の望む現実ばかりを追い求めてしまうのではないでしょうか?ですが黄金は元々土塊の中に存在している事を思い出していきましょう。私達が探し求めていた人生の宝物は、一見価値の無い様に思える土塊の中にこそ隠されているはずです。自分が望まない様な現実が目の前に差し出された時、その先には私達の想像もつかない黄金に輝く世界が広がっているはずです。価値の有無と言う一切の区別性を無くし、平等に物事を捉える目を養って行きましょう。そして私達が人生の宝物を、より多く見つける事が出来ます様に。

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幸せへと続く高速道路

人生をより幸せに過ごす為の智慧が記されている、ヨガの根本経典ヨガスートラ。この経典の中に「アパリグラハ」という教えが記されています。これは不貧、つまりは「貪らない」、「必要以上に求めない」という教えです。私達の多くは、目の前の世界に満足がいかず、もっともっとと求めがちの思考パターンに陥る事が多いかも知れません。例えば、沢山食べたにも関わらずまだ食べたいと求めてしまったり。行き過ぎた欲は身を滅ぼすと言いますが、行き過ぎた過食も、行き過ぎたダイエットなども結局は体を壊してしまいますよね。


人は、何かに執着している時、その対象の事しか考える事が出来なくなってしまいます。例えば、もっと早くと車を飛ばしていると、速さの事しか考えることが出来ずに車中から見える綺麗な景色も視界に入って来ないのです。


先日、リラヨガの新年会があり家族3人で参加してきました。自宅から高速を使えば車で40分程度で着きますが、私は昔から遅刻が絶対に嫌なので、帰宅ラッシュの渋滞も考慮し、余裕を持って2時間前に出発をしました。その新年会の会場は、絶品の創作料理が食べられる事もあり、ウキウキな気持ちでハンドルを握ります。私達が高速に乗るのに使うインターは日本で一番大きい大師インター。そこは少し複雑で乗り口が2つあり、間違えると戻るのに苦労するインターです。

いつもどおり、「東京方面はどっちかな~?」と看板を見てみると右が横浜方面、左がアクアラインと書いてあり東京方面の案内がないのです。いつもは高速で東京方面の案内板を見た記憶があるのにと頭の中は一瞬パニックに。そして、気付きました!!間違えた乗り口から乗ってしまった事に!!!!しかし、アクアラインの方から湾岸線を経由して行けば都内へ出られる、大丈夫と自分に言い聞かせ、いつもと違う案内を見たパニックからか動揺しながらハンドルを切りました。ただならぬ気配に気付いた妻が「どうしたの?大丈夫?」と聞いてきます。私は冷静を装い、「だ、だ、大丈夫だよ~」と返事をしますが声が震えていました。


気を取り直し走り出すと、今度はナビが「高速を出てください。」と繰り返し指示してきます。高速使って早く行きたいのにどうして?と思いつつ指示に従って高速を降りた時に初めて気が付きました。設定を高速優先にしなければいけない所を一般道優先にしていた事に。おかげで遠回りですし、帰宅ラッシュの渋滞が始まり、中々前に進みません。私は、遅刻が本当に嫌なので、このままでは遅刻してしまうと思って苦しくなり、なんだか変な汗も噴き出してきて口もへの字に。すると車の中は、私の変化に気付いた妻はなんだかうつむいているし、子供は泣き始めるし、最悪の空気です。「なんて最悪な日なんだ!」と思いました。ですがなんとも言えない嫌な空気は、私の時間に間に合わなければという焦りの気持ちが作り出している事に気付いた時、ハッとしました。時間に対して執着しすぎて、家族が不幸せになったら元も子もありません。もっと回りに目を向け、今家族とドライブ出来ている幸せを大切にしようと楽しげな音楽をかけました。

私自身が貪るのをやめた途端、だんだんと車内の雰囲気も明るくなり妻と子供の機嫌も戻り、会話が弾む楽しいドライブに変わっていきました。貪る事や執着をする事は、回りの幸せに気付けなくなるなと私自身、アパリグラハの重要性を噛み締めていたら、するとどうでしょう!それまで動かなかった渋滞が少しづつ動き始め、その後もすんなり車は進み、なんと不可能だと思っていた待ち合わせ時間に間にあうどころか1番乗りに会場に着くことが出来ました。そして楽しみだった絶品サンマロールを楽しみ、幸せな気持ちで1日を終える事が出来ました。


時間以内に行くという執着を手放した事で心が軽くなり、道中が家族と楽しいドライブの時間となりました。そして神様が見ていたのか、高速でずっと行くよりも早い時間で一般道で到着する事も出来ました。なにより最悪と思っていた休日も自分の思考の切り替えひとつで最高の時間に変わっていったのです。もしもあのまま時間通りに行く事を諦めずにいたら、あせって運転をし、交通事故を起こし大惨事になっていたかもしれません。


麗らかな風が吹く季節になりました。一つの事に執着しすぎて夢中になっている時は、見えるはずの景色を見逃していると言い換える事が出来るかもしれません。綻び始めた桜の蕾の美しさ、冬とは違う心地よい風の香り、土から動き始めた小さな動物や虫達、、、握りしめた自分の心の風船を春の風に乗せるように、目の前の美しさを見逃さないでいたいものですね。


幸せは苦みの後に

ヨガの根本経典「バガバッド・ギータ」には、日常生活をヨガ的にそして幸せに過ごす心得が記されています。その中の一説にこんな事が書かれています。


「純質的幸福とは、始めは毒の様に苦く、後に甘露の様に甘くなる」


純質とは、ヨガで言う理想的な状態の事を言います。最初は毒のように苦しみや悩み迷いを経て、そのうち毒を乗り越え苦味が甘露のように、うっとりとした甘美さがずっと続く幸福に変わっていく・・・。それが本当の意味での幸福だと経典には記されています。そして、逆に最初から甘美な幸せは注意が必要とも書かれています。


私達の多くは、苦しみはできるだけ避けたい、最初から喜びや楽しさの甘露を感じていたいと思いがちかもしれません。ですが、皆さんも毒のような苦しみだったけど、時が経てばその苦しみがあったからこその甘露のような幸福の思い出をいくつかお持ちだと思います。もしかしたら、なんで困難な苦しみや悩みが自分に訪れるのだろうと思う出来事は、末長く続く甘美な幸福の扉を開く鍵なのかもしれません。


1月13日、予定日を4日程過ぎた朝、妊娠中の妻にようやく陣痛がやってきました。仕事を終え、急いで家に帰ると陣痛の間隔がだいぶ短くなっていました。ひたすら1日陣痛に耐える妻を、僕は以前からネットで[妻が陣痛で苦しんでいる時に夫がやるべき10カ条]というのを調べていました。そこには「ひたすら夫は妻の腰を摩るべし!」と書いてあったので、私は妻の腰を痛みが来るたびに全力で摩っていました。夜中に陣痛が5分おきになったので病院に向かいました。ですが病院に着くと陣痛が遠のいてしまいます。自宅の方がお産が進むから帰宅してと助産師からの指示で、痛みの中家に帰る事に...。家に帰るとまた陣痛がやってくる!その度に私は妻の腰をとにかく摩りまくる!!何回痛みの波が来たのか、妻の腰に貼ってあった使い捨てカイロが摩る度に擦れて中身が出そうなほどでした・・・。


気付いたら朝でした。昼が過ぎ、その日の夜にようやく陣痛の間隔が短くなり病院で、もっと大きな陣痛が来るのを待ちます。また腰を摩ります!100回と全力でやっていると、普段からトレーニングをしているのですが腕が上がらなくなり、でも妻も必死で「もう少し上!」と注意を受けます(汗)。妻は勿論の事、右腕にとっても本当に毒のような痛み、二人とも体も心も痛みに耐え、まさに毒のような時間を過ごしました。


お産が進み深夜2時、分娩室へ。私達は和室でのフリースタイル出産を希望していたので部屋に行くと中央の天井からロープが吊るされています(the 大奥のような)。そのロープを掴んでとにかくいきみます!何度も何度もいきむのですがなかなか赤ちゃんは出てきません。フリースタイルでのいきみなので、私も足を押さえたり、いきみに一緒に参加しました。何度も何度も妻と一緒にいきみました。時計を見たら朝の6時になっていました。病院に来て11時間、私達はもう2日間寝ていなく妻の体力も赤ちゃんの体力も限界に達していました。


妻、私、赤ちゃん、医療スタッフ一丸となって大きな目標へ痛みの中真っ直ぐ向かっていき、朝6時33分ようやく出てきてくれました!!赤ちゃんは名前の通り真っ赤な色でとても小さな体です。「オギャー」と力強く泣き始めました。私は感動のあまり「やったー!!産まれたー!!!!」と大はしゃぎ、写真も動画も取りまくりました。妻が落ち着いた時に「泣いた?」と聞いてきて私は思わず「泣いてないよ」と言ってしまいましたが、目頭に熱い何かが流れていた事は秘密です。


私達にとってまさに毒のような2日間が過ぎ、ようやく天使のようにかわいい男の子が家族に加わりました、今思うと赤ちゃんにとっても毒の様に苦しい体験だったと思います。今では私達3人+犬1匹で毎日、甘露のような幸福を味わいながら新しい生活を楽しんでいます。そして家族が増えたことは経典に書かれている通り、永続的に続く甘美な幸せだと思いこれからもたっぷり味わおうと思います!

目の前に避けたくなるような毒のような苦しみが訪れた時には、一歩立ち止まってみませんか?もしかしたら、その苦しみは、これからはじまる幸福の扉へと導いてくれる可能性があるのかもしれません。幸せいっぱいの毎日に向けて、一見鍵とはわかりにくい苦い経験が鍵となる事もある事にいつでも気付ける自分でいたいものです。

ピンチは最大のチャンス

2000年前に成立されたとされるヨーガの根本経典ヨーガスートラ。この経典の中には私達の生活を、より幸せに過ごす為の教えが記されています。

経典の中に「否定的想念によって撹乱された時は、反対の肯定的想念が捻想されるべきである。これがプラティーパクシャ・バーヴァナである。」と記されています。

この世界に存在する全ての物事には必ず闇(否定的な側面)と光(肯定的な側面)と言う二面性が存在します。
私達は自分の望んでいる出来事の時には、簡単に光を見い出す事が出来ますが、ひとたび望まない現実が差し出された時は、目の前が真っ暗に見えて闇の側面ばかりが際立ってしまう事が多いのではないでしょうか。

例えば、最高と思える様なケーキにも、甘くて美味しいといった光の面と高カロリーという闇の面を持っています。せっかくの美味しいケーキも闇の側面ばかりを気にして食べると味気無い物になってしまうでしょう。

最悪と思えるような出来事が起こった時、闇の側面に惑わされる事無く、必ず存在する光の側面を見つけ出す事で、毎日をどんな時でもポジティブで、光に満ちた物に変える事が出来ると経典では説いています。


私は小学生の頃から野球少年でした。当時、野茂英雄投手の活躍でアメリカのメジャーリーグが日本でもテレビで放送される様になっていました。
ある日テレビでメジャーリーグを観ていた時、私はテレビに映し出される一人のピッチャーに衝撃を受けました。その選手の名前はジム・アボットさんと言います。何が衝撃だったかと言うとマウンドに立つ彼の右手首から先が無いのです。
彼はグローブを右手首の上に乗せ、左手でボールを投げ、すぐさま左手でグローブをはめ守備に付く、そして強打者達を次から次へと打ち取っていく...野球少年だった私は、そんな彼のプレイに釘付けになりました。私も彼のように凄い野球選手になりたいと毎日練習に明け暮れたのを覚えています。

ジム・アボット選手は生まれつき右手がありませんでした。
幼い頃、野球に興味を持ち地元の野球チームに入りました。しかし回りの皆が「右手の無いお前に野球なんて出来る訳がない!」と、ジムをからかったそうです。
悔しくて泣いて家に帰り母親に尋ねました。
「お母さん、僕は右手が無いから野球が出来ないの?」
するとジムの母親は「ジム、お前は右手が無いのをハンデだと思うのかい?右手が無いのはお前の個性だから、個性を生かして練習すれば立派な野球選手になれるよ。」と答えました。
それからのジムは母親の言葉通り個性を活かし野球の練習に明け暮れます。そして地元の野球チームへと入団しました。
高校、大学と野球で大活躍した後、誰もが憧れる夢の舞台、メジャーリーグへと活躍の場所を移し大活躍をするのです。
メジャーリーグの名門チーム、ニューヨークヤンキースへと入団したジムは、その年にノーヒットノーランを達成し、伝説の投手ジム・アボットとして人々の記憶に今なお焼きついています。

もしも、自分の右手が生まれつき無かったら...右手が無いというハンデばかりが目に付き本当に自分のやりたい事を諦めてしまうのではないでしょうか。

私はヨガを始めた頃、周りは女性だらけで男性は自分ひとり...体も硬いし「男性である自分にヨガは向いていないのではないか?」とネガティブな事ばかり考えていました。
しかしある日、ヨーガスートラを読んでいる時に気付かされました。男性である事は特別な個性ではないか!ハンデに感じる事は何も無いんだと。
今では、男性特有のダイナミックさと力強さを取り入れながら、日々のヨーガの鍛錬と指導に取り組み続けています。

全ての物事は、私達の捉え方しだいで様々な色に変化していきます。闇の側面ばかりを見つめていれば真っ黒な暗い世界が広がってきます。ですがどんな時でも光の側面を見つける事が出来れば、私達はいつでも明るい光に満ちた生活を送れる事でしょう。

私達もジムの母親の様にどんな時でも物事を肯定的に捉える冷静さと、そしてジムの様に決して否定的側面に惑わされない前向きさを手に入れたいものです。

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